専属デザイナーSHIZUKAについて

子供時代の体験

おはじき、ビーズ、ビー玉…キラキラしたものへのワクワク感から自然の山や川へ足を踏み入れた幼少時代。母と祖父母に連れられたイベント会場で原石や天然石と出合います。
小学生になった彼女が3年間お年玉を貯めて、はじめて手に入れた原石は、自分の両手よりも大きい27000円のアメジスト。当時の彼女にはとても高額な買い物でした。時間をかけて手にしたアメジスト原石は、今の彼女の原点となる出合いになりました。

暮らしのために天然石アクセサリーShopでの仕事をスタート。

それから月日は流れ、20代を迎えたSHIZUKAはかわいい子供を授かり、専業主婦としての日々を過ごしました。自分とそっくりな可愛い一人っ子。同じ境遇だったからこそ、母親として、一友人として、子供の好きなことや興味のあることを伸ばしてあげたい想いから、彼女も好きだった自然と触れ合う時間を子供と楽しみました。子供が1歳を過ぎ、家計を支えるために、アクセサリーShopで働くことを決意しました。

見抜く力、合わせを磨く。

仕事のために、天然石に関する幅広い知識を学んでは接客に生かすことを繰り返す日々を過ごします。ここで身に着けた商品製作が彼女の転機になりました。
美術部時代に磨いた「色合わせ」、「お客様の好みを知る観察眼」店頭で売れる商品づくりの才能が開花します。幼いころ、人見知りだった彼女にとって、長年積み上げた知識や技術、接客経験は、彼女への自信とお客様の信頼を築き上げたのです。

国産水晶との出合い・ワイヤーアートを始める・独自のスタイルを確立

今の彼女を作り上げたもう一つのきっかけは、宮崎水晶との出合いです。この綺麗な水晶を多くの人に届けたいと思い彼女はワイヤーを使ったアクセサリー製作を決断します。
ワイヤーアートは苦難の連続、何度も繰り返しやっとの思いで最初の作品を完成。宮崎水晶が店頭に並ぶと、その珍しさから噂が人を呼び込み、徐々に売れ始め、製作を重ねるうちに、彼女独自の編み方を確立します。”シンプルで美しい”今の作風にたどり着きます。

高千穂水晶との出合い

当時、西米良・日之影水晶のアクセサリーが人気を集めていた最中、取引先から高千穂水晶を提案されました。ほかの水晶とは異なる真っ白な見た目。半信半疑で商品に仕上げたところ、みるみる売れました。
時に、半透明でガラス硬質な水晶が見つかります。小さいものでも美しく珍しい一品として取り上げられ、その希少さに魅せられるお客様も多かったそうです。彼女の作品製作にとって、大きな出合いとなりました。

今が一番若い時

子育てから手が離れ、仕事も順調に進んでいたころ、自分の将来を考えはじめた彼女に大きな転機がやってきます。働きながら副業をこなす青年・現社長に出合います。夢実現に向けて、何にでも取り組む力と勇気に刺激を受けた彼女は、「自分自身が手に職を持ち、自立のために動く力があること」に気づかされます。

人生の一大決心

「一緒にハンドメイドをやりませんか?」ある日、真剣なまなざしで夢を語る社長。その想いに共感した彼女は、「挑戦するなら今だ。社長となら、好きなことで生活できる夢を実現できるのではないか」と考えました。
40歳、人生の折り返し地点で起きた人生を変えるような出来事、それから彼女は長年勤めたアクセサリーShopを辞め、フリーランスとして新たなスタートを決意。

まだ、人生の折り返し

経営やコミュニティの輪を広げ、共に新たな挑戦に取り組んでいる社長をはじめ、大事な子供、商品を気に入ってくれるお客様の声援が心を支えています。親子ともに大好きな水晶をきっかけに、高千穂水晶を採っている地元の方との縁も生まれました。

「多くの人との出合いに支えられて、今の私がある」
と彼女は話しています。高千穂水晶が呼び寄せた幸せの物語を通して、当店と出合った人々へ高千穂水晶の魅力をお届けします。